Archives

You are currently viewing archive for November 2008
カテゴリ: 活動報告
掲載日:2008/11/12
「エコはみんなの合いことば!」をメインテーマに、
「第4回スカウトフェスティバル」が11月9日、区立第三中学校のグラウンドで開催されました。

主催はボーイスカウト文京第5団育成会で、ガールスカウト東京都第217団育成会が共催しています。

当日の様子が「こらびっと文京」のホームページで紹介されています。
以下のURLをクリックすればサイトに行けます。ぜひ、ご覧ください。

http://collabit.net/gnkb01/pub/sheet.php?id=9100

ボーイスカウト東京文京第5団

掲載日:2008/11/10
平成20年8月14日

 
 
 
 
 
 

ボーイスカウト東京文京第5団
掲載日:2008/11/10
平成20年8月13日

 
 
 
 
 
 
 
 

ボーイスカウト東京文京第5団
掲載日:2008/11/10
平成20年8月13日

 
 
 
 
 
 
 
 
 

ボーイスカウト東京文京第5団
掲載日:2008/11/10
平成20年8月12日

 
 
 
 
 
 
 

ボーイスカウト東京文京第5団
掲載日:2008/11/10
平成20年8月8日

 
 


平成20年8月9日

 


平成20年8月10日

 


平成20年8月11日

 
 
 

ボーイスカウト東京文京第5団
掲載日:2008/11/10
「BS隊:7年ぶりの八丈島・夏キャンプ」平成20年8月7日~14日 
二隊隊長 白木陽二

 7年前(2001年)に八丈島のキャンプが行われて以来今回で「2回目」の夏キャンプとなりました。「アドベンチャーとサバイバル」をモットーに、言葉通りのキャンプができました。「天候にも恵まれ、ボーイ隊らしい素晴しい夏キャンプでした」

 先発隊5名は8月5日に上陸し、本隊は7日の夜の船で出発しました。往路・復路の14日とも海は穏やかでスカウト全員元気に船上生活をすることもできました。連日の猛暑で日中は高い時で46℃、日陰でも36℃、(連日の日中の猛暑での水分補給に気を配りました)心配していた「熱中症」も連日のシャワー・温泉で、スカウトの体力が回復し、暑さに負けることはありませんでした。

 「水の大切さ」を痛感したキャンプでした。(=キャンプ中はペットボトル、ポリタンクから「水」が出てくるという意識)海プロでは、「岸壁・ボートヤードからの飛び込み」「バナナボートのスリリングさ」「クルージングでの海の絶景」を味わいました。隊ハイキング、班プログラムでは、八丈富士、八丈小島、三原山の絶景を堪能することで、ビッショリなったTシャツやズボン、班員同士の絆がより固くなっていくのをスカウト全員が感じていたようでした。

 実施に当たり、キャンプ地提供の野間さん、八丈島の森川さん、八丈島海洋レジャークラブの会長と皆様方、天慶丸の船長と奥様、4tトラックを出動してくださった沖重工業の 社長様をはじめとして、今回このキャンプで多大なご支援いただいた皆さんに、心より感謝しております。また、保護者の方々へは今回の八丈島キャンプのご理解とご協力をいただきありがとう御座いました。大成功と言っても過言ではないと思います。スカウト全員は貴重な「島体験」ができて「宝物」を得たことと最高な「2008年の夏の思い出」を胸に残ったことと思います。ご協力いただきました皆様に重ねて御礼申し上げます、本当にありがとう御座いました。

 BS隊初の「DVD八丈島夏キャンプ」を是非ご覧下さい。(編集:五十嵐隊長)
 (参加数:スカウト25名 リーダー12名 計37名)


ボーイ隊八丈島夏キャンプ
ボーイスカウト隊1隊隊長 五十嵐信哉

 5月のキャンプ中「今年は八丈島!」と決まったが、時間がない。下見は、悪天候のため着岸できずに引返す。白木隊長と白石副長が飛行機で飛び、実施の目処がついたのが6月。

 船・飛行機の予約や備品の用意と発送で、てんやわんやの7月。

 でも、3日前に発った5人の先発隊が、隊サイトを設営し、すべての下見を終わらせて、カレーを作って出迎えてくれた。

 8日朝に本隊が到着して、即設営。やはり、サイトが狭い。各班、芸術的とも言えるぎりぎりのレイアウトで何とか設営完了。しかし、いくらでも切っていいとのこと。スカウトは自分たちのサイトが日々広がり、快適になっていく喜びを経験した。三原山ハイク、海プロ、班プロ、洞窟探検とプログラムが順調に進行し、あっという間に13日になり、撤営。みんな「帰りたくない」と言った。

 今回、いいキャンプができたのは、一つは地元の皆さんの温かい協力のお陰、加えて、参加した隊スタッフ一人ひとりの頑張りによる。楽しかったキャンプを振り返りながら、改めて八丈の皆さんとボーイ隊スタッフに感謝したい。


八丈島キャンプ
文京5団 コンドル班次長 内山 輝登


 ”痒い!”八丈島でのキャンプでの思い出は、まずこれだ。

 設営の際に、何かの草木にかぶれたようだ。とにかく”痒い”僕だけではなく他の班員にも”患者”がいた。でも皆、それほど酷くならず、無事に最終日まで過ごすことができた。

 今年からイーグル班からコンドル班へ移動した僕は、皆と長いキャンプを、協力してすごせるのか少し不安もあった。だが、今回のキャンプであまり体調が良くなかった僕のことを、支えてくれる班員がいたことに感動した。皆で力を合わせたからこそ、最優秀班賞がとれたのだと思う。

 最後に、楽しいキャンプを計画してくださった隊長方に感謝をこめて、ありがとうございました。


キャンプ☆キャンプ  
文京5団 ハヤブサ班次長 藤原絵人

 キャンプファイヤーでキャンプの終わりをしめくくるのは隊長の話です。僕はその話を聞いていると、なぜか淋しくなります。何故なら八丈島キャンプでの洞窟探検、海プロ、ビバークといった、初めて体験するプログラムが沢山あり8日間という長い時間でしたが、「もうこの島ともお別れか、なんだかんだで楽しかったな」と思うと、まるでそれらが一瞬の出来事のように思いだされるからです。

 楽しいキャンプだったと思うには、どんな事をするにしても、仲間の協力が必要です。仲間との絆が大切です。僕はこの事を改めて今回の八丈島キャンプで学びました。ですから、これからもこの経験をいかし、スカウト活動に励んでいきたいです。

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 『よく晴れた明るい朝、一面の雪の原っぱにはひとつの足あともありません。AくんとBくんとCくんの3人がゲームをしていました。ひとりずつ歩いてだれが一番まっすぐな足あとを雪の上に残せるか、という競争です。

 まずAくんが歩きました。右足をふみ出すと、こんどは左足をそのすぐ前にくっつけてぴったりとならべ、またこんどは右足をくっつけてならべて、と下を向きながら一歩ずつとてもていねいに、ずいぶん時間をかけて原っぱの向こうにつきました。

 あれだけていねいに歩いたので、どのくらいまっすぐ歩けたかと後ろをふり向くと、あれれ? 思ったよりもぐにゃぐにゃにまがっていてがっかりしました。

 つぎにBくん。 Aくんとちがってまっすぐ前を向き、まず10歩だけ歩きました。そして立ち止まり後ろを見て、もし右にまがっていたら次はすこし左にむけてまた10歩あるきました。つぎに左だったらこんどは右へと、これをくりかえして向こう側につきました。すこしまがっていたけれどもAくんよりもずっとまっすぐに、そしてずっとずっと早く歩けました。

 つぎにCくんの番です。 遠い先に雪のつもった白い山が見えました。「あの山に向かっていけばまっすぐいける、けど…ちょっと遠いなあ」、そう思ったCくんは原っぱの向こうの大きな木に気づきました。 やがてCくんが歩きはじめました。 ほかの2人よりもとっても早く向こうにつきました。そして、その歩いたあとは…まるで定規ではかったようにまっすぐでした。

 Cくんはどうやって歩いたんだろう?

 じつはCくんは遠くの白い山と、手前の高い木とがぴったりとかさなって見えるようにして歩いた、それだけでした。

 隊長はいつも、君たちに「目標をもちなさい」と言っています。でも「なぜ、目標がたいせつなの?」ってあまり説明してこなかったのでこの話をしています。

 Aくんには目標がありました。 まっすぐに向こうまで歩くことです。でも一歩ずつはまっすぐだったけど、長く歩いているうちに少しずつまがってしまいました。

 Bくんはどうでしょう?君たちは学校で「反省会」ということをしていると思います。 Bくんがやったのは反省会でした。10歩だけ歩いて後ろを見てもしまちがっていたならば、それを反省して次の10歩が正しくなるようにしました。それをくりかえしたので、ずっとまっすぐに、そしてずっと早く目標に近づけました。

 ではCくんはどうだろう?Cくんはもっとずっと遠くに目標をもちました。あの白い山がそうです。でもその山はとても遠いので、その手前にもうひとつの「小さい」目標を作りました。あの大きな木がそれです。

 たいせつなのは、白い山と大きな木が、つまり大きな目標と、そのまえの小さな目標とがズレないようにして歩くこと、そうすれば何も迷うことなく、まっすぐに、そして一番早く目標に向かっていくことができます。隊長は君たちが今から何十年後、立派な大人になっていてほしいと思う。

 でもそれは遠くの白い山、ちょっと遠すぎる目標かもしれない。 でもその手前には、いくつも小さな目標があると思う。

 スポーツで身体をきたえたり、ともだちを作ったり、世の中に良いことをしたり、君たちが大切だと思うことをいくつも小さな目標にすればいい。でも本当に大切なのはそれが遠くの山とぴったりかさなっているようにして歩き出すこと。

 そうすればきみたちが道に迷うはずはないことを隊長は知っています。 ちょっとむずかしいけれども、隊長が言う目標の大切さがわかってくれればいいな、と思います。』

(2005年12月カブ隊冬キャンプ@土気・昭和の森公園、営火でのヤーン、より)

松岡 繁(元CS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 人間がこの世に生きていられるのは、100年。しかし、森の中に生きている木は、何百年、何千年と生きつづけるものもあります。

 ある森に、何千年も生きてきた、森で一番大きな木がありました。他の木々より一段と高くそびえる立派な木でしたので、森に棲む仲間たちから“王様の木”と呼ばれていました。しかし、王様の木は何千年も生きてきたので、そろそろ立っているのがつらくなってきました。するとある日、神様が王様の木にいいました。

 「お前はほんとうによく頑張ってきた。嵐の夜に、逃げ回る動物たちを幹の割れ目の部屋で守ってあげた。雷が落ちる時は、だれよりも高く頭を出して自分のからだで受け止めて、森の木々を守ってやった。小さな虫から大きな木まで森の仲間たちみんなを守りつづけてきたお前に、永遠の眠りに入る前に、何か願いを叶えてあげよう」

 すると、王様の木はこう答えました。

「いつも雨上がりに、森の空に虹がかかります。あの美しい虹の色を全身に浴びてみたい。自分のいる森を一面虹色に染めてください」

 神様は「お前が永い眠りにつく前に、虹を贈ろう」と約束しました。

 その年の秋のことです。神様からの贈り物が森に届きました。森全体が、それはそれは美しい七色に染まったのです。それを見た王様の木は、静かに眠りにつきました。それ以来、毎年秋になると、森全体が美しい紅葉に染まるようになったということです。

副団委員長 大曽根勇夫(元CS・RS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 自分がボーイスカウト隊のしたっぱだった時、水も無いトイレも無いところで1週間の夏キャンプが行われました。2,3日たって班での生活にも慣れてきて班長の姿を良く見れる様になって来ました。食当集合の笛がなると班長は初日に作った立ちかまどの前に座り火を起こし始めます。「いいなー自分も火の前に立ちたいなー」と思いチャンスをうかがっていたのですがなかなか火の前に立つ事は出来ませんでした。(立たせてもらえなかったです)

『そうだ!チャンスは朝しかない!!』と思い起床6時のところ4時半頃起きてテントの外に出て昨晩のうちにといでおいたお米の入った飯ごうをもち、立ちかまどの前に立ち火をおこし始めました。朝靄の中、鳥の声を聞きながら最高の気分で火の前に立つ事が出来ました。あっという間に時間が過ぎ起床の時間が来て班長に「ご飯炊けましたー」と声かかけて起こすと「マジでー有難う」と言い喜んでくれました自分は心の中で「良し、ヤッター」と叫びました。5日目、6日目、最終日とそんな感じで火の前に立つことが出来たのです。でも最終日の朝は失敗でした。最終日という事で隊スタッフの起きる時間が早く、立ちかまどの前に立ち火をおこし、ご飯を炊いていると当時の隊長が来て「おはよう、一人でやっているの?」と聞くとテントに行き「おい!班長なんで下のスカウトが一人でご飯炊いてるんだ!やれって言ったのか?」と班長が怒られてしまったのです。自らやった行動で班長が怒られてしまい本当に申し訳ないなと思い「すみませんでした」と班長に謝ると「いいよいいよ有難うな」と優しく返事をしてくれました。

 自分でチャンスを探し、そのチャンスを物に出来て、でも失敗もして、良い経験の出来た夏キャンプでした。あの時の経験が無かったら自分より下のスカウトが失敗をした時怒る事しか出来なかったのではないかと思います。もちろんリーダーになってからも同じです。

外山 良(前VS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 隊長は今から40年前、ボーイスカウトでした。

 初めて小6で行ったキャンプ。新潟県と山形県の県境にある飯豊山という山。キャンプ場ではなく普通の山。班サイトの場所を決められて、まず、鎌で草を刈るところからの設営でした。戸隠に行ったことがないのでわからないですが同じような感じかもしれません。隊長はかなり使えないスカウトでした。たまねぎを剥こうとしていたら、「五十嵐そっちを持ってくれ」といわれて何かを動かすことになり、でもたまねぎを離せなくて、たまねぎを持ったまま持とうとしたらすごく怒られました。夕食の配給がバケツに入った生きているうなぎで、捌くのに四苦八苦したこともあります。シニアー、今のベンチャーですが、が、山の中腹でキャンプをしていて、それを訪問するというプログラムがあって行ったのですが、まず、大きなアーチがあって、テントサイトにもいろんな工作物があって、すごくカッコいいと思いました。中1のとき、第4回日本ジャンボリーで岡山に行ったのですが、すごく暑くて、ネッチを洗って干したら10分で完全に乾いちゃいました。中2で班長になったけど、表彰に縁がない班で、隣の班を見てどうして隣はあんなにいつもサイトが綺麗になっているのだろうと悩んでいました。点検ではいつも怒られていました。40年も前のことなのに、ボーイスカウトをやっていた4年間のことは、次々にいろんなことを、それも鮮明に思い出します。

 今から10年たつと、フクロウ班は25歳、小6も22歳になるわけですが、きっとみんなも大人になってから、ボーイ隊の時のことを思い出すことがあるでしょう。そして、その時きっと、「あの時があったから今の自分があるんだ」と思うんじゃないかと思います。うそが下手な自分、けしてへこたれない自分、みんなおきてに書いてあることですが、「ボーイスカウトでなかったら違う人間になっていたんじゃないか」と思うはずです。

 君たちはボーイスカウトです。ボーイスカウトであることを誇りに、胸を張って、これからを生きていって欲しいと思います。(2006年3月お別れキャンプにて)

五十嵐信哉(現BS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 私は前に、新聞の記事を読んで感動した事があります。

 それを君たち(スカウト)に伝えたいと思います。

 それは広島県の中学校で30年間、理科を教えてきた教師が書いた「一生一度の学び」にまとめた体験談でした。

 その家族は、同じ教師の妻と3人の子供、そして88歳になる母親の6人。

 ある日、元気に家事をしていた母親が、突然、脳こうそくで倒れた。非常事態!誰が面倒を見るのか。最初は妻が2ヶ月間の看護欠勤制度を利用して病院に付添い、次の2ヶ月間は先生がその制度を利用した。それまで先生は自分の授業で、胎児性水俣病の子供の写真など、独自の教材を使って「人間学」と称し、よく、人間の生き方を語り、生徒の啓発に熱心だった。じき、母親は病院から自宅に帰る事になった。よくなった訳ではない。ついに看護欠勤も期限切れとなり、夫婦で話合い、結果、先生が看護に専心すると決めたのだ。

 先生が学校から去る日、生徒たちに、静かに、別れの言葉を告げた。

「人間、生涯に一度くらいは、自分の一番やりたいことを、やめなくてはならないこともある」―

 体育館の中が、さざ波のような泣き声で満ちた。

 それから先生の介護の日々が始まった。その中で考えさせられた。家事でも介護でも女性の負担がいかに大変なことか。あれほど嫌々だった排泄の処理が、汚いものを汚いと思わなくなった。入浴させる時は、家族全員が手伝う。母親は喜んだ。

 人間にとって何が本当に大事なことか。自分は、学校で何を教えていたのか。

 実は先生の母親は生みの親ではなく育ての親。

 母親の世話ができることを感謝しながらの毎日が、勉強だった。家族の気持ちの交流や介護の真剣な協力。そこに、人間がともに生きることのありがたさがあった。

 母親は静かに亡くなった。

 この記事を読んで、人間にとって何が大切で大事か考えさせてくれました。

 君たちがこれから大人になった時、実際に同様のことがあるかもしれません。その時に思い出してください。ボーイスカウトの「ちかいとおきての」の中にも、同じ内容が書かれているということを。

大屋有司(元BS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 私がスカウトだった頃、入団したてのスカウトは水汲み、蒔き拾いと食器洗いしかさせてもらえませんでした。

 冬の凍てつくキャンプ、小さかった身体の半分はあるかと思うバケツを持ち、キャンプサイトの食管を満杯にするまで運んだものです。
腕が棒になるほど、悲しい思いの中で往復を繰り返しました。
当時、薪は焚き付け用の限られた束しか配給されなく、また無いときも有りました。
あとは班で拾い集めなければなりません。
水と薪は常に一杯に、と言うのが班長の指示でなのです。

 夕食が終わり就寝までの間にも、空いた時間は水汲みと薪拾いでした。
サイト付近にはすでに無く、月の光も届かない暗い山の中を捜し歩きました。
とても怖い思いをしました。
キャンプサイトの近くを流れる小川での食器洗いの仕上げ、ポンチョを着ての作業、指が切れるような冷たい水、涙がこぼれたものです。

 あまりにも寒い氷点下の夜、班長が「かまど」のそばに集まるよう指示しました。
出してくれたのは温かい甘いミルクティでした。
「杉田達が寒い思いをして洗ってくれた食器、一生懸命集めた薪、努力して汲んだ水だから、君達が最初に飲むんだ。」と言って班長は作ってくれました。

 とても美味しく、何故かジーンとしました。

 かまどの炎に照らされた班長の顔がやさしく見えました。

(注:リーダーシップ、安全対策、そなえよつねに)

杉田篤司(元CS・BS・VS・RS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 リーダーがヨーロッパで仕事をしていた頃の話です。

 事務所の近くに地下鉄の駅があり、地上には誰も使っていないようなエレベーターがありました。

 ある日リーダーはとても疲れていたので、このエレベーターに乗って楽に地下のホームまで着くことができました。電車の方へ歩き始めると、おばあさんが近づいてきて、「あなたは若いのだからエレベーターは使わなくても良いのではありませんか? あなたがエレベーターを使ったことにより、本当にエレベーターを必要としている人が使えなくなってしまったのですよ!!」と言われました。

 その時のリーダーは59歳で決して若くはなかったのでエレベーターに乗ったのです。その後腰痛を患い、歩くとことがとても辛かった時、あのおばあさんの言っていたことが良くわかりました。おばあさんが言っていたことは、「体が若く元気な人は、体が不自由な人に色々なものを譲ってあげなさい。」ということでした。だから電車に乗った時はシルバーシートには座らず、エレベーターは体が不自由な人を乗せてあげるために君たちは乗らないようにしてあげると皆に喜ばれるのではないかと思います。

宮島隆之(元CS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団
カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 平成7年の冬に起きた阪神大震災は、死者6千433人、負傷者4万人という被害をもたらしました。

 あれからもう10年になります。

 全国から多くのボランティアが集まり、ボランティアに慣れていないこの国民の間には、被災者にも行政にも、ボランティア側にもたくさんの混乱やとまどいもありましたが、その年が、我が国のボランティア元年と言われるようになりました。

 あの時、私はローバー隊の隊長をしていましたが、私の隊からもふたりの大学生がボランティアに行きました。ひとりは男性スカウトで、もうひとりは女性スカウトでした。この話は彼女が後に報告してくれた話です。男性スカウトは避難所の運営をお手伝いしましたが、女性スカウトの方はある避難所に生活する子ども達の世話をすることになりました。食事の世話、遊びやゲーム、お絵描きなど彼女にとっては、カブスカウト指導者の経験が大いに役立つボランティアでした。

 震災発生後、取るものもとりあえず、自分の生活道具をザックにいれて、女性にはかなりきつい荷物を背負って行きました。しかし、東京でやらなければならない自分の用事が残っていました。そのため、阪神に入って一週間後、いったん東京に帰ってきました。用事をすませて再度現地に行った時のことです。

 公園の広場に張られた子ども達のための大テントの内側に、子ども達が描いた彼女の似顔絵がいっぱい張られてあったのです---------。それを見て、彼女は思いました。『わたしが、被災した子ども達の役にたってるんだ』-----。その時、彼女は初めて自分の行動に“やりがい”を実感したということです。それはまた、ボーイスカウトの「ちかい」の実践であるにほかなりません。

 被災した子どもたちのテントからは、その後も笑い声が聞こえたことでした。深い心の傷はあっても、健気に生き抜いていったということです。

副団委員長 大曽根勇夫(元CS・RS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 東京ディズニーランド・ワールドバザールにあるレストランで実際にあったお話です。

 二人連れの若いご夫婦がレストラン「イーストサイド・カフェ」に食事に行きました。
ウェイトレスが2人を二人がけのテーブルに案内してメニューを渡しました。
2人はそれぞれAセット一つとBセット一つ注文しました。
オーダーし終わったとき、奥様が追加注文しました。「お子様ランチをひとつ下さい」と・・・

 ウェイトレスは「お客様、誠に申し訳ございませんがお子様ランチは小学生のお子様までと決まっておりますので、ご注文は頂けないのですが・・・」と丁寧に断りました。

 すると二人は顔を見合わせて複雑な残念そうな表情を浮かべました。
 その表情を見てとったウェイトレスは「何か他のものではいかがでしょうか?」と聞きました。
 すると、二人はしばらく顔を見合わせ沈黙した後、奥様が話出しました。

 「実は今日は昨年亡くなった娘の誕生日だったのです。私の身体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。子供がおなかの中にいる時に主人と3人でこのレストランでお子様ランチを食べようねって言っていたんですが、それも果たせませんでした。
子供を亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、最近やっとおちついて、亡き娘にディズニィーランドを見せて三人で食事をしようと思ったものですから・・・」

 その言葉を聞いたウェイトレスは2人を四人がけのテーブルに案内しました。
仲間に相談して全員の賛成を得て、お子様ランチのオーダーを受けました。
そして小さな子供用の椅子を持ってきて「お子様の椅子はお父様とお母様の間でよろしいでしょうか?」と椅子をセットしました。
その数分後・・・「お客様、大変お待たせしました。ご注文のお子様ランチをお持ちしました」と
テーブルにお子様ランチを置いて笑顔で言いました。「どうぞ、ご家族でごゆっくりお楽しみください」

 数日後、若いご夫婦から感謝の手紙が届きました。
「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。こんな体験をさせていただくとは夢にも思いませんでした。これからは涙を拭いて生きて行きます。また行きます。今度はこの子の弟か妹を連れて・・・」

 このお話をスカウトのみんなはどの様に感じますか?
またお父さん・お母さんでもあるリーダーの皆さんはどの様に感じますか?
人は思い出にすがってばかりでは生きていけません。
でも人はそれぞれ良い思い出も悪い思い出もあります。
良い思い出も悪い思い出も心の中の引き出しにそっと仕舞っておいてください。
そしてこのウェイトレスさんの様に思いやりのある大人になってください。
おわります。

輿石 修(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 ある晩、うちの息子が、キッチンで夕食の支度をしている自分のお母さんに向って
何か書いたものを渡しました。お母さんはエプロンで手をふいて、それを読みました。

・お洗濯をした・・・・・50円 ・お風呂を掃除した・・・・・50円 
・お使いに行った・・・・・50円 ・飼い猫のお世話をした・・・50円
・なまゴミを出した・・・・・50円 ・テストでいい点を取った・・・・・50円
合計300円の貸し

 お母さんは返事を待って立っている息子の顔を見ました。
さまざまな思い出が彼女の脳裏をよこぎっているようでした。
彼女は「ふぅ〜」という、ため息と共にペンを取り、その紙の裏にこう書きました。

・10ヶ月間、私の中であなたが元気に育つのを祈り続けたのは・・・無料。 
・病気の時、毎晩寝ずの看病をして治るのを祈ったのは・・・無料。 
・15年間、あなたのために辛い思いをし、涙を流したのは・・・無料。 
すべてを足してみても、私の愛の値段は・・・・無料です。

・怖くて眠れなかった晩、夜通しお話ししてあげたのは・・・無料。 
・おもちゃも、食べ物も、きる物も、あなたの鼻をかんであげたのも・・・無料。 
それを全部足しても、本当の愛の値段は・・・・無料です。

 読みおえた息子の目に、久しぶりに大粒の涙が浮かんでいました。
彼はまっすぐに母親の目を見つめると言いました。
「お母さん、俺、お母さんが大好きだよ」 
そう言ってペンを取ると、大きな字で、彼はこう書きました。
「全額支払い済み」 

 君たちスカウトは、お母さんやお父さん、また多くの人達の
大きな愛情の中ですくすく成長していきます。

 こうして色々な人達にもらった大きな愛情は、いつか自分の大切な人のために
返したあげて下さい。

君達は、傷ついた分だけ人に優しくなれるます
泣いた分だけ 強くなれるます
苦しんだ分だけ 幸せになれます
愛された分だけ 愛することが出来ます
だから いっぱいいっぱい
傷ついて下さい 泣いて下さい
苦しんでください
そしてみんなから愛されて下さい

輿石 修(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 今日、君たちが歩いた森や湖には、たくさんの鳥や魚や小さな獣や昆虫達が毎日生活をしています。

私たちが住んでいる東京の町には、こんな素敵な森や湖はあまりありません。
今まで長い間、人間は自分たちの便利なように、生活が楽になるようにと、海を埋め立てて工場を作ったり、山を削って道を作ったり、丘の木をたくさん切って自分たちの住む家を作ったりしてきました。

 そこにいた鳥や小さな獣たちは、食べるものがなくなり、もっとほかの場所へ逃げ出してしまいました。死んでしまって仲間がいなくなった動物たちもいます。

これは私たち大人が長い間かかって間違った事をしてきたのかも知れません。
私たち大人が君たちに謝らなければならない、自分勝手な・恥ずかしい事だったかも知れません。
地球に住んでいるのは人間だけではなく、鳥や獣や植物もみんな仲良く一緒にいたいと思っているはずです。

 これからは君たちがこのすばらしい自然を守って行くために、自分には何ができるかを考えて、お家の人や友達とも話し合って、少しでも大切な自然を大人と一緒に取り戻してもらいたいと、隊長は思っています。

夏目 潔(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 スカウト同士が言い争っているところに出くわした。

 一人は涙をぽろぽろこぼしながら泣きじゃくっている。

「どうしたの?」泣いていないほうのスカウトに聞きただすと、彼ではなく泣きじゃくっているスカウトが、嗚咽の合間にとつとつと話し出した。

「A君が僕のお母さんのことを「でべそ」だといって聞かないんだ。僕のお母さんはでべそなんかじゃない」

 一瞬笑ってしまいそうになったが、彼にとっては自分のお母さんのことを、からかわれた、ということで一杯になっているのだろう。彼の目を見ながらその気持ちを考えると、なぜだか私まで涙ぐんでしまった。

 A君に「冗談にせよ、ひとのお母さんのことを、そんなふうに言うもんじゃない。もし君が同じ事を言われたらどんな気持がするか、よく考えてごらん」

 そう言いながらも涙が止まらなかった。A君はどうして私まで泣き出してしまったのか、不思議そうに見つめながらしばらくだまっていたが、そのうちコックリと頷いて、「ごめん、もう言わないよ」と言ってくれた。

 「もう二度と人のいやがることを言ってはいけないよ。分かったら握手して、皆のところに戻ろう」と言ったら、A君がさっと手を出して、相手の手をとって、しっかり握手したまま、二人で駆けていった。

 それは他から見ればほんの一瞬の出来事だったにちがいないが、二人の気持の葛藤を考えると、私はその場からしばらく動けずに、涙の流れるままに立ち尽くしていた。

夏目 潔(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 今、地球の人口は、約66億人です。
 アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニア世界5大陸に分布し生活しています。
飽食の時代と言われますが、この多くの人間が生きるためには食料が必要です。

 でも、世界に目を向けると、人口66億人の3分の1の人は、食事を1週間に1度くらいしか食べられません。
その他の、3分の1の人は、食事を1日に1回くらいしか食べられません。
残る3分の1の人は、毎日3回、朝、昼、晩と満足に食事ができる人達です。
なぜ全員が、1日3回の食事ができないのでしょうか?
それは、戦争や環境破壊などで、国が滅び食料が不足しているからです。

 皆さんは、どのグループに属していますか?
毎日、朝、昼、晩と3回の食事ができる幸せなグループですよね!
でも、食事の時、好き嫌いを言っていませんか? ご飯やおかずを残して、食料を粗末にしていませんか?
食事が出来ることが、当たり前の事だと思っていませんか?

 肉や魚、お米や野菜を作ったり、提供してくれた人達に感謝して食事をしていますか?
今、地球上には、満足に食事も食べられない人達が大勢いることを考えれば、自分達が置かれた立場が、いかに幸せかを理解し、感謝する気持ちがとても大切です。
「忘れがちな感謝の気持ち」を、今一度考えてみてください。

福井清天(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 「これは、私が小さい時に、村の茂平さんというおじいさんから聞いたお話です」 兵十が川で魚を取っているのを、いたずら好きな狐のごんが見つけた。兵十がびくから目を離した隙に、ごんは兵十が捕った魚やウナギを逃がしてしまう。それから10日ほど後に兵十の母親の葬式をみたごんは、あの時逃がしたウナギは、兵十が病気の母親に食べさせるための物だと知り反省する。

 自分と同じ一人ぼっちになった兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いの意味もあって、鰯を盗んで兵十の家においてくる。だが鰯屋は、兵十が盗んだと勘違いし、兵十が殴りつけられたため、ごんは再び反省する。それからごんは、毎日栗や、時には松茸を届けるようになる。兵十は毎日届けられる栗を不思議に思い加助に相談すると「それは神様のおかげだ」といわれる。

 その翌日ごんが家に忍び込んだ気配を感じた兵十は、またいたずらに来たのだと勘違いし、母親にウナギを食べさせられなかった無念もあり、ごんを火縄銃で撃ってしまう。倒れたごんの横に散らばる栗に気ずき、兵十が「お前だったのか」と問いかけ、ごんがうなずく。兵十が思わず取り落とした火縄銃から青い煙がのぼっていた。
 優しい気持ちはときとして、報われないこともあるし、気付いてもらえない時もあるかもしれないれども、それでも、その尊い心を大切にして欲しいと思います。

福井清天(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 大昔の人が書いた、海の果ての絵を見たことが、ありますか? 今でこそ、地球が丸いと誰もが知っていますが、大昔の人は、海の果ては断崖絶壁だと思っていたようです。

 リーダーが見た、その地図では、海の果ては、大きな滝になっていて、通過する船は次々と滝に落ちて、しかも滝の下には、怪物のような竜が口を開けて、待ち構えていました。

 現実には、海の果てが滝になっているわけではなく、まして竜もいないのですが、そういう世界を描いたのは、人間の想像力・空想力です。そして、怪物のような竜が現れるのは、知らない世界に対する、人間の恐怖心からでしょうか。

 アメリカ大陸を発見したのは、みんなも知っているコロンブスです。彼は、インドを目指していましたが、地球は実は丸いんだと教えてもらい、西回りでもたどり着けると信じて出発したのです。

 コロンブスは、最後まで新大陸をインドと信じていたようですが、残念ながら、たどり着いたのは、今のアメリカ大陸でした。その時代、たくさんの冒険家たちが、新しい世界を求めて、大航海に出ました。コロンブスも含め、大航海に出た人たちは、海の果てに滝があり、怪物もいると信じていたら、決して航海には出なかったでしょう。

 迷信に惑わされず、冒険心を持って、誰も知らない世界に踏み出す人こそ、パイオニアと呼ばれる人たちです。コロンブスたちは、まさにパイオニアでした。しかし、パイオニアになれるのは、特別な人だけでしょうか。

 恐怖を乗り越えるには、勇気がいります。勇気を持つって、むずかしいですか? 恐怖に感じていることって、よくよく考えれば、滝の下にいる竜のようなものかもしれません。自分で勝手に空想した竜に、心が縛られて、勇気が使えなくなっていませんか?

 心の中にいる竜を打ち消して、一歩踏み出せば、君も立派なパイオニアです。勇気を持つこと、勇敢であることは、実は簡単なのです。なぜなら、人の力を借りることなく、自分で解決できるのだから。

 パイオニアになろうとしている君にとって、今、心の中にいる竜は、どんな竜ですか? 今日から、竜退治に出かけませんか?

団委員長 高田淳彦(元BVS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/01
発団45周年記念「文京第5団 夜話集」
平成19年(2007年)7月


杉田篤司(ボーイ隊)


 私がスカウトだった頃、入団したてのスカウトは水汲み、蒔き拾いと食器洗いしかさせてもらえませんでした。
 冬の凍てつくキャンプ、小さかった身体の半分はあるかと思うバケツを持ち、キャンプサイトの食管を満杯にするまで運んだものです。
 腕が棒になるほど、悲しい思いの中で往復を繰り返しました。
 当時、薪は焚き付け用の限られた束しか配給されなく、また無いときも有りました。
 あとは班で拾い集めなければなりません。
 水と薪は常に一杯にと言うのが班長の指示なのです。
 夕食が終わり就寝までの間にも空いた時間は薪拾いでした。
 サイト付近にはすでに無く、月の光も届かない暗い山の中を捜しました。とても怖い思いをしました。
 キャンプサイトの近くを流れる小川での食器洗いの仕上げ、ポンチョを着ての作業、指が切れるような冷たい水、涙がこぼれたものです。

 あまりにも寒い氷点下の夜、班長が「かまど」のそばに集まるよう指示しました。
 出してくれたのは温かい甘いミルクティでした。
 「杉田達が寒い思いをして洗ってくれた食器、一生懸命集めた薪、努力して汲んだ水だから、君達が最初に飲むんだ。」と言って班長は作ってくれました。
 とても美味しく、何故かジーンとしました。
 かまどの炎に照らされた班長の顔がやさしく見えました。
 (注:リーダーシップ、安全対策、そなえよつねに)