カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 『よく晴れた明るい朝、一面の雪の原っぱにはひとつの足あともありません。AくんとBくんとCくんの3人がゲームをしていました。ひとりずつ歩いてだれが一番まっすぐな足あとを雪の上に残せるか、という競争です。

 まずAくんが歩きました。右足をふみ出すと、こんどは左足をそのすぐ前にくっつけてぴったりとならべ、またこんどは右足をくっつけてならべて、と下を向きながら一歩ずつとてもていねいに、ずいぶん時間をかけて原っぱの向こうにつきました。

 あれだけていねいに歩いたので、どのくらいまっすぐ歩けたかと後ろをふり向くと、あれれ? 思ったよりもぐにゃぐにゃにまがっていてがっかりしました。

 つぎにBくん。 Aくんとちがってまっすぐ前を向き、まず10歩だけ歩きました。そして立ち止まり後ろを見て、もし右にまがっていたら次はすこし左にむけてまた10歩あるきました。つぎに左だったらこんどは右へと、これをくりかえして向こう側につきました。すこしまがっていたけれどもAくんよりもずっとまっすぐに、そしてずっとずっと早く歩けました。

 つぎにCくんの番です。 遠い先に雪のつもった白い山が見えました。「あの山に向かっていけばまっすぐいける、けど…ちょっと遠いなあ」、そう思ったCくんは原っぱの向こうの大きな木に気づきました。 やがてCくんが歩きはじめました。 ほかの2人よりもとっても早く向こうにつきました。そして、その歩いたあとは…まるで定規ではかったようにまっすぐでした。

 Cくんはどうやって歩いたんだろう?

 じつはCくんは遠くの白い山と、手前の高い木とがぴったりとかさなって見えるようにして歩いた、それだけでした。

 隊長はいつも、君たちに「目標をもちなさい」と言っています。でも「なぜ、目標がたいせつなの?」ってあまり説明してこなかったのでこの話をしています。

 Aくんには目標がありました。 まっすぐに向こうまで歩くことです。でも一歩ずつはまっすぐだったけど、長く歩いているうちに少しずつまがってしまいました。

 Bくんはどうでしょう?君たちは学校で「反省会」ということをしていると思います。 Bくんがやったのは反省会でした。10歩だけ歩いて後ろを見てもしまちがっていたならば、それを反省して次の10歩が正しくなるようにしました。それをくりかえしたので、ずっとまっすぐに、そしてずっと早く目標に近づけました。

 ではCくんはどうだろう?Cくんはもっとずっと遠くに目標をもちました。あの白い山がそうです。でもその山はとても遠いので、その手前にもうひとつの「小さい」目標を作りました。あの大きな木がそれです。

 たいせつなのは、白い山と大きな木が、つまり大きな目標と、そのまえの小さな目標とがズレないようにして歩くこと、そうすれば何も迷うことなく、まっすぐに、そして一番早く目標に向かっていくことができます。隊長は君たちが今から何十年後、立派な大人になっていてほしいと思う。

 でもそれは遠くの白い山、ちょっと遠すぎる目標かもしれない。 でもその手前には、いくつも小さな目標があると思う。

 スポーツで身体をきたえたり、ともだちを作ったり、世の中に良いことをしたり、君たちが大切だと思うことをいくつも小さな目標にすればいい。でも本当に大切なのはそれが遠くの山とぴったりかさなっているようにして歩き出すこと。

 そうすればきみたちが道に迷うはずはないことを隊長は知っています。 ちょっとむずかしいけれども、隊長が言う目標の大切さがわかってくれればいいな、と思います。』

(2005年12月カブ隊冬キャンプ@土気・昭和の森公園、営火でのヤーン、より)

松岡 繁(元CS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 人間がこの世に生きていられるのは、100年。しかし、森の中に生きている木は、何百年、何千年と生きつづけるものもあります。

 ある森に、何千年も生きてきた、森で一番大きな木がありました。他の木々より一段と高くそびえる立派な木でしたので、森に棲む仲間たちから“王様の木”と呼ばれていました。しかし、王様の木は何千年も生きてきたので、そろそろ立っているのがつらくなってきました。するとある日、神様が王様の木にいいました。

 「お前はほんとうによく頑張ってきた。嵐の夜に、逃げ回る動物たちを幹の割れ目の部屋で守ってあげた。雷が落ちる時は、だれよりも高く頭を出して自分のからだで受け止めて、森の木々を守ってやった。小さな虫から大きな木まで森の仲間たちみんなを守りつづけてきたお前に、永遠の眠りに入る前に、何か願いを叶えてあげよう」

 すると、王様の木はこう答えました。

「いつも雨上がりに、森の空に虹がかかります。あの美しい虹の色を全身に浴びてみたい。自分のいる森を一面虹色に染めてください」

 神様は「お前が永い眠りにつく前に、虹を贈ろう」と約束しました。

 その年の秋のことです。神様からの贈り物が森に届きました。森全体が、それはそれは美しい七色に染まったのです。それを見た王様の木は、静かに眠りにつきました。それ以来、毎年秋になると、森全体が美しい紅葉に染まるようになったということです。

副団委員長 大曽根勇夫(元CS・RS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 自分がボーイスカウト隊のしたっぱだった時、水も無いトイレも無いところで1週間の夏キャンプが行われました。2,3日たって班での生活にも慣れてきて班長の姿を良く見れる様になって来ました。食当集合の笛がなると班長は初日に作った立ちかまどの前に座り火を起こし始めます。「いいなー自分も火の前に立ちたいなー」と思いチャンスをうかがっていたのですがなかなか火の前に立つ事は出来ませんでした。(立たせてもらえなかったです)

『そうだ!チャンスは朝しかない!!』と思い起床6時のところ4時半頃起きてテントの外に出て昨晩のうちにといでおいたお米の入った飯ごうをもち、立ちかまどの前に立ち火をおこし始めました。朝靄の中、鳥の声を聞きながら最高の気分で火の前に立つ事が出来ました。あっという間に時間が過ぎ起床の時間が来て班長に「ご飯炊けましたー」と声かかけて起こすと「マジでー有難う」と言い喜んでくれました自分は心の中で「良し、ヤッター」と叫びました。5日目、6日目、最終日とそんな感じで火の前に立つことが出来たのです。でも最終日の朝は失敗でした。最終日という事で隊スタッフの起きる時間が早く、立ちかまどの前に立ち火をおこし、ご飯を炊いていると当時の隊長が来て「おはよう、一人でやっているの?」と聞くとテントに行き「おい!班長なんで下のスカウトが一人でご飯炊いてるんだ!やれって言ったのか?」と班長が怒られてしまったのです。自らやった行動で班長が怒られてしまい本当に申し訳ないなと思い「すみませんでした」と班長に謝ると「いいよいいよ有難うな」と優しく返事をしてくれました。

 自分でチャンスを探し、そのチャンスを物に出来て、でも失敗もして、良い経験の出来た夏キャンプでした。あの時の経験が無かったら自分より下のスカウトが失敗をした時怒る事しか出来なかったのではないかと思います。もちろんリーダーになってからも同じです。

外山 良(前VS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 隊長は今から40年前、ボーイスカウトでした。

 初めて小6で行ったキャンプ。新潟県と山形県の県境にある飯豊山という山。キャンプ場ではなく普通の山。班サイトの場所を決められて、まず、鎌で草を刈るところからの設営でした。戸隠に行ったことがないのでわからないですが同じような感じかもしれません。隊長はかなり使えないスカウトでした。たまねぎを剥こうとしていたら、「五十嵐そっちを持ってくれ」といわれて何かを動かすことになり、でもたまねぎを離せなくて、たまねぎを持ったまま持とうとしたらすごく怒られました。夕食の配給がバケツに入った生きているうなぎで、捌くのに四苦八苦したこともあります。シニアー、今のベンチャーですが、が、山の中腹でキャンプをしていて、それを訪問するというプログラムがあって行ったのですが、まず、大きなアーチがあって、テントサイトにもいろんな工作物があって、すごくカッコいいと思いました。中1のとき、第4回日本ジャンボリーで岡山に行ったのですが、すごく暑くて、ネッチを洗って干したら10分で完全に乾いちゃいました。中2で班長になったけど、表彰に縁がない班で、隣の班を見てどうして隣はあんなにいつもサイトが綺麗になっているのだろうと悩んでいました。点検ではいつも怒られていました。40年も前のことなのに、ボーイスカウトをやっていた4年間のことは、次々にいろんなことを、それも鮮明に思い出します。

 今から10年たつと、フクロウ班は25歳、小6も22歳になるわけですが、きっとみんなも大人になってから、ボーイ隊の時のことを思い出すことがあるでしょう。そして、その時きっと、「あの時があったから今の自分があるんだ」と思うんじゃないかと思います。うそが下手な自分、けしてへこたれない自分、みんなおきてに書いてあることですが、「ボーイスカウトでなかったら違う人間になっていたんじゃないか」と思うはずです。

 君たちはボーイスカウトです。ボーイスカウトであることを誇りに、胸を張って、これからを生きていって欲しいと思います。(2006年3月お別れキャンプにて)

五十嵐信哉(現BS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団

カテゴリ: 文京第5団夜話集
掲載日:2008/11/05
 私は前に、新聞の記事を読んで感動した事があります。

 それを君たち(スカウト)に伝えたいと思います。

 それは広島県の中学校で30年間、理科を教えてきた教師が書いた「一生一度の学び」にまとめた体験談でした。

 その家族は、同じ教師の妻と3人の子供、そして88歳になる母親の6人。

 ある日、元気に家事をしていた母親が、突然、脳こうそくで倒れた。非常事態!誰が面倒を見るのか。最初は妻が2ヶ月間の看護欠勤制度を利用して病院に付添い、次の2ヶ月間は先生がその制度を利用した。それまで先生は自分の授業で、胎児性水俣病の子供の写真など、独自の教材を使って「人間学」と称し、よく、人間の生き方を語り、生徒の啓発に熱心だった。じき、母親は病院から自宅に帰る事になった。よくなった訳ではない。ついに看護欠勤も期限切れとなり、夫婦で話合い、結果、先生が看護に専心すると決めたのだ。

 先生が学校から去る日、生徒たちに、静かに、別れの言葉を告げた。

「人間、生涯に一度くらいは、自分の一番やりたいことを、やめなくてはならないこともある」―

 体育館の中が、さざ波のような泣き声で満ちた。

 それから先生の介護の日々が始まった。その中で考えさせられた。家事でも介護でも女性の負担がいかに大変なことか。あれほど嫌々だった排泄の処理が、汚いものを汚いと思わなくなった。入浴させる時は、家族全員が手伝う。母親は喜んだ。

 人間にとって何が本当に大事なことか。自分は、学校で何を教えていたのか。

 実は先生の母親は生みの親ではなく育ての親。

 母親の世話ができることを感謝しながらの毎日が、勉強だった。家族の気持ちの交流や介護の真剣な協力。そこに、人間がともに生きることのありがたさがあった。

 母親は静かに亡くなった。

 この記事を読んで、人間にとって何が大切で大事か考えさせてくれました。

 君たちがこれから大人になった時、実際に同様のことがあるかもしれません。その時に思い出してください。ボーイスカウトの「ちかいとおきての」の中にも、同じ内容が書かれているということを。

大屋有司(元BS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団