■ボーイスカウト文京第5団は昭和37年(1962年)の初頭、東京学芸大学付属竹早小学校のPTA会長であった、三澤 武氏(初代団委員長)を始めとし鈴木謙三氏、林 俊甫氏、他に数人の保護者協力の下、また教頭でいらっしゃった渡辺 茂先生(「たきび」作曲者“歌詞始め:かきねのかきねのまがりかど”)や諸先生のご理解をいただき発団準備に取り掛かりました。 現在、在籍中の杉田明治、杉田篤司兄弟を含め12名の入団希望者を得て、11月23日小石川植物園においてボーイスカウト隊初めての隊集会行われました。12月東京連盟の発団審査を受け、翌昭和38年1月17日東京第213団の団番号が付与、4月13日発団式が竹早小学校体育館において挙行されました。発団時は三澤文雄氏(当時立教大学生)を初代隊長としてボーイスカウト隊の発隊でした。 ■発団当初は資金的にも乏しく、最小限の備品にも事欠くありさまでしたがスカウトの意気は盛んでした。幸いにもライオンズクラブや洋酒会社、また保護者の方々の大変な努力によって、夏季キャンプの備品がどうやら揃ったのでした。 その後まもなく小学校の方や団委員の方々の提案で、どうしても小学生のためにカブスカウト隊も早く作りたいということで、提案者でもある西村章子氏に初代隊長をお願いし、発団以来半年後の昭和38年9月10日カブスカウト隊が発隊しました。 ■始めの10年間位はこの様に竹早小学校を中心とし、準学校隊として発展してゆきました。その後ボーイスカウトの主旨でもある地域社会への奉仕のため、また団のよりいっそうの発展を願い地域団を目指し、さらに団の組織も拡充されてゆきました。 その間、昭和40年には高校生部門のシニアースカウト隊(呼称が変わり現在は、ベンチャースカウト隊)、昭和59年には大学生部門のローバースカウト隊が発隊し、昭和63年には小学校1.2年生の隊、ビーバースカウト隊が発隊しました。 昭和53年、東京連盟においては行政地区割に地区再編制が行われ、“東京文京第5団”の呼称となりました。また、平成3年には兄妹団としてガールスカウト東京都第217団のお手伝いをし、これで家族揃って活動できる団となりました。 ■途中には色々な困難なときもありましたが、保護者、諸先輩ならびに団員の大変な努力により、現在のようなビーバー隊からローバー隊まで揃った全国でも有数な団となりました。