平成7年の冬に起きた阪神大震災は、死者6千433人、負傷者4万人という被害をもたらしました。

 あれからもう10年になります。

 全国から多くのボランティアが集まり、ボランティアに慣れていないこの国民の間には、被災者にも行政にも、ボランティア側にもたくさんの混乱やとまどいもありましたが、その年が、我が国のボランティア元年と言われるようになりました。

 あの時、私はローバー隊の隊長をしていましたが、私の隊からもふたりの大学生がボランティアに行きました。ひとりは男性スカウトで、もうひとりは女性スカウトでした。この話は彼女が後に報告してくれた話です。男性スカウトは避難所の運営をお手伝いしましたが、女性スカウトの方はある避難所に生活する子ども達の世話をすることになりました。食事の世話、遊びやゲーム、お絵描きなど彼女にとっては、カブスカウト指導者の経験が大いに役立つボランティアでした。

 震災発生後、取るものもとりあえず、自分の生活道具をザックにいれて、女性にはかなりきつい荷物を背負って行きました。しかし、東京でやらなければならない自分の用事が残っていました。そのため、阪神に入って一週間後、いったん東京に帰ってきました。用事をすませて再度現地に行った時のことです。

 公園の広場に張られた子ども達のための大テントの内側に、子ども達が描いた彼女の似顔絵がいっぱい張られてあったのです---------。それを見て、彼女は思いました。『わたしが、被災した子ども達の役にたってるんだ』-----。その時、彼女は初めて自分の行動に“やりがい”を実感したということです。それはまた、ボーイスカウトの「ちかい」の実践であるにほかなりません。

 被災した子どもたちのテントからは、その後も笑い声が聞こえたことでした。深い心の傷はあっても、健気に生き抜いていったということです。

副団委員長 大曽根勇夫(元CS・RS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団